「本」が意味するものは人それぞれで・・・
本の処分ですが、2か所に送った。
これがなかなか手間取りで・・・
吟味するほど体力がないから、比較的最近のものやコミック類を扱う所と、完璧に古本を取り扱う、といっても扱う本に傾向がある古書屋さんと2か所を選んで、あとは諦めて処分する。
まさかね、と思った「大言海」(昭和52年 52刷)に査定がついたのには驚いた。
新版が出ているのに、こういうものを誰がどうするのだろうかと気になる。
この古書店は梶井基次郎全集、山川方夫全集、江藤淳著作集、折口信夫全集とかを引き取ってくれた。
ナイポールの「イスラム紀行 上下」はイスラム紀行の走りのような、素晴らしい紀行なのだけれど、こんな風に時代が疾風怒濤、走りすぎていくと誰も読まないのか、普通の引き取りサイトでは査定0円で出るけれど、この古書店は引き取ってくれた。
アマゾンの中古だと上で3000円とかもついているから、やはり名著だったんだ・・・
我が家の本の扱いが適当というか、本への愛が足りないというか、全集なのに一巻抜けていたり(原因不明)、月報が欠けていたり、カバー破れとかがあるから、査定はうんと低くなるけれど、それでもこの古書店さんはいくらか値段をつけてくださり、本当にありがたく思った。
どこかの古書店で並ぶこともあるのかと思えば、それはもう、嬉しい限りだ。
ちなみに私のお友達で、お宅にお邪魔した時に驚いたのは、壁一面の書棚に並んだ本の全てに書店の紙カバーがかけてあったこと!
どんな本が並んでいるのか、他人に分からないのはいいとして、家人はどこにどの本があるのか知っているのかしらん?と、私的にはすごく不思議な光景だった。
「もの」の値打ち
書棚って、これは「本」であることはもちろんなのだけれど、書棚に本が並んでいたりする部屋というのが好きなんだ・・・
だから、Y子が大好きだったカードキャプターサクラちゃんのコミックは出したけれど、特別版は残す。ハリーポッターは、まあ、置いとくかな?
あと「風の谷のナウシカ」も残す。
Mが読んだ少年文庫の数冊も残す。
リチャード・パワーズは「舞踏会へ向かう三人の農夫」の中で、
「思い出の品の値打ちというのは〜それが何か意味を超えたところにある」というようなことを書いていた。