東京に行くと足に疲れが出る
先週金曜日の夜、私たち夫婦の共通の友人であるZちゃんの病状がよくないと、東京の友人から連絡が来た。
土曜朝一に広島まで出て東京へ行った。
7時半に家を出ても、西早稲田の友人宅に着いたのは3時になっていた。
入院先の大学病院から無理やり家に帰ってしまっていたのだ。
たまたま土曜日だったこともあって、赤ちゃんの時から可愛がってもらっていた息子と娘の都合もついて、彼らとも高田馬場で落ち合えて一緒に向かった。
「あんなところにいたら、殺されるぜ」
酸素マスクの下で、Zちゃんは相変わらずの毒舌だった。
訪問診療の先生や、介護専門スタッフや、マンションは完全に病室のようなことになっていた。
イケメンの医者
「お元気で良かったです。
勘違いをしていました。治療を続けるというお気持ちと捉えていいのですね。」
透析をしながら、間質性肺炎の治療をすることが可能なのか、素人にはわからないが、大学病院も見放した患者が、自宅で再起のための治療を選択するというのか、あるいは最期を病院で迎えたくないというその一点のみの選択なのか・・・
「もう、いいんだ」
胸の上で両の手でバツ印を見せて、そうも言ったりしながら、
「そこにある本、Eちゃん、読んでいいぞ、持って帰りなよ。病人には重くてさあ〜」
平山周吉「江藤淳は甦える」
800ページに近い重い本を、ベッドの中で読むには相当の体力を要したに違いない。
苦しい中でも最後まで、昔のまんまのZちゃんを演じて見せてくれた。
おそらく、昔からのZちゃんのままで、M子さんをいっときも休ませず独り占めして最期を迎えるつもりだと、私たちの心の中はそのように理解した。
誰も口には出さなかったが。。。
とりあえず私たち夫婦は火曜午後には羽田を立った。