bull87’s blog

田舎の暮らし〜こんなふうです〜老後をお考えの方、参考に〜Iターンを選択肢に入れてる方、参考に〜なるンかなあ・・・

「ケーキの切れない非行少年たち」宮口幸治著


非行少年って言葉が本当に意味するもの

 この本はいっぱいいっぱい考えさせられてしまう。

「認知機能が低い」→想像力が育たない

少年犯罪の多くを、この視点から考えている。

上の2行は、大雑把に言えばの話だが、子どもたちの認知機能という視点が、問題をあぶり出していく一つの重要な要素になっているというのが、いささか衝撃ではある。

 

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それよりも、この認知機能の低い子どもたちが、理解されないまま成長期を過ごし、社会へ出ざるを得ないことの問題の重要性を考えている。

 

小学校低学年からの「支援」の必要性が繰り返されるが、この「支援」という言葉、本当に適切な表現なのだろうか。

 

算数プリントの問題や漢字学習問題集の短文を正確に読めない子ども・・・

中学校に行けば、英単語を覚えたり、解の公式、因数分解、すべてお手上げになる。

もちろん、生活科や社会科の科目で他の子にはない力を発揮して見せてくれるが、数学や国語、英語の授業についていけないまま中学校を卒業して、その後を、どのような困難が待っているというのだろう。

 

それならいっそのこと早くに療育手帳をもらう方が適切な理解と支援を受けられて、社会生活への支障が少ない、これは本当に正しい判断なのだろうか?

 

視覚障害学習障害へとつながるけれど、タブレット学習である程度の支援ができたとして、タブレットを持って学習する友達をクラスの誰もが、「普通のこととして」「何の違和感もなく」受け入れて共に生活できる、学校は本当にそんな場所になっているのだろうか?

 

来週は学期末個人懇談がある。

これが終わってから、勇気を出して私は担任の先生に面談を申し入れようと思う。

特別支援学級は、親の同意がないと無理やり学校の判断だけで入れることはできないのよ」と、最初にお母さんには言ったけれど、今は迷っている。

そうこうしている間に当の子どもは日に日に月を重ねて、実は自分の生きづらさのストレスを溜め込んでいるのではないだろうか、そんな不安が、小さな具体的な事実になって見え隠れしている。

 

ここまで私が認知するのに、すでに1年が経とうとしているのだ。