「高揚した雰囲気」
平成22年11月発行なので、多分、奈良時代に関しての最新情報?が教えてもらえるんじゃないでしょうか。
函館中央図書館で見つけましたた。あと3冊、平城京関係を借りた。
「はじめに」で、吉村武彦先生は述べられている。
今日は、当時とは歴史も時代状況もまったく違うが、「失われた二〇年」を引きずる「時代の閉塞感」が漂っている時代ともいわれる。しかし、そう決めつけるのは待ってほしい。いま一度、来し方をふりかえりながら、時代に向き合った古代人の生き方をみなおし、世界と共生していく方途をみつけ出していきたいと思う。
本書によって、「平城京誕生」という、当時の高揚した雰囲気を思い起こしていただければ幸いである。 2010年10月
見出し図
この地図、なんか、美しい。。。
柿本人麻呂が生きていた、ですよねえ〜
そうして大伴家持が〜
この本は飛鳥から平城京へと、「京」というより「宮」の遷り変わりを考古学の最新情報と「日本書紀」などの古文書、発掘木簡などと照らし合わせ、分かったこと、分からないこと、推測、と、述べてある。
見出し図
大伴家持の佐保邸は、この条坊道路図から外れた京の北東部、佐保川近くにあったらしいが、いろんな地図を探しても、大伴佐保邸と書かれているものに出会えないでいる。
2010年の放送だったらしいから(近年、再放送があった時に見た)、平城遷都から1300年という記念ドラマだったんですね。
二人が宮の回廊で話している様子とか、朝堂の様子とか、藤原仲麻呂の邸宅の様子とか、宮をちょっと離れれば田畑、掘立て小屋の百姓の暮らしとか、あれはきっちり時代考証されていたんだなあということが分かる。
キャストに橘諸兄、大伴家持の名も出ているから、もう一回見て見たいですが、NHKオンデマンドじゃないと、無理。(あんなにちゃんとウン十年もお高い受信料を引き落とされ続けてるんですけどね・・・)
〜島庄遺跡は天武の子の草壁皇子の嶋宮として有名である。『万葉集』に草壁皇子が亡くなった後、その舎人たちが皇子を偲んで詠んだ歌が残されている。そのなかには、「勾の池」「上の池」「嶋の荒磯」「磯の浦廻」など、嶋宮の庭園の情景をうかがえるものがある。ただ、この情景は、先に検出されている巨大な方形池とは、かなり異なる。むしろ、曲線を重視し、洲浜などをもちいた池をイメージすることができる。(96頁)
宮滝遺跡は斉明の吉野宮という離宮の推定地であり、中之庄遺跡は天武がその九年(680)に行幸した「菟田吾城」、そして、持統六年(692)に軽皇子(後の文武)が遊猟した「阿騎野」の推定地であり、ともに天皇のプライベートな空間にあたる。天皇の私的な空間には、州浜をもつような池が配置されたのであろうか。ちなみに、このような州浜をもつような苑池が、平城宮で東院庭園に継承され、日本庭園の原型となる。(97頁)
この辺りの文章を読むと、なんだか柿本人麻呂が生きているみたいで笑、楽しくなるね。
出自は低くとも、その才能ゆえに宮、天皇の私的な近辺にも姿を見せていたであろう人麻呂、おそらくもっと、もっと、と上を見ていたであろうが、そうだね、やはり、潰されちゃうんだよね、見せしめの生贄なんて、不比等にとっては躊躇なかっただろうなあ(勝手に決めつけてる私・・・)。
「平城京誕生という高揚した雰囲気」の中で、疎外されていく大伴家持も、「機をみる」に疎い生き方を素質として持っている人間て、いつの時代もいたんだろうし、今の今もいるんだね。