小川洋子さん「小箱」
昔々に読んだ「博士の愛した数式」、先々月に読んだ「約束された移動」、この2冊しか小川洋子さんの本は読んだことがなく、この「小箱」は3冊目になる。
読み始めて20ページもいかないうちに、「ああ、読んではいけない」って閉じた。
なぜかって、娘のY子の赤ちゃんは7月に生まれたばかり・・・
怖かった、というより不安、胸騒ぎを感じる出だしだった。
けれども怖いもの見たさというか、読まなくちゃあ、いえ、きっと怖いお話でないに違いないと、そんな気持ちに押されてもう一度読み始めたというわけだ。
「私が知っている中で、最も細いものは、死んだ子どもの髪の毛だ」
「人々はさまざまなものを持ってやって来る。満足に口もきけない幼子なら、おしゃぶり、初めての靴、これの耳を握りながらでないと眠れないウサギのぬいぐるみ。」
ぱらぱらとめくっただけで、すぐにこういった文に出会うのだけれども、これはそのうち慣れてくる。
そうして違う空気感に包まれてしまうのだねえ。
うまくは伝えられないが、ひとつ確かには、人の心は、特に子どもを亡くした人の心は、もう元のようには戻らないっていうことを想像させる。
そうして、そのことを誰にも伝えられないで、心がどんどん体から離れていってしまうんだろうか。
唐突ではあるけれども、阪本順治監督の「団地」という映画、あれはコメディとして観る人が多いようだが、子を亡くした親の悲劇を痛烈な喜劇に仕立てて見せた映画だというふうに私は観てしまった。う〜ん、監督の意図したところじゃないかもしれないけれど。
とにかく滂沱の涙を、私は流してしまった。
この「小箱」では悲劇も喜劇もなく、ありのままの人の心はこうなんだよ、というふうに読ませた。
涙なんて寄せ付けない、うんとうんと静かで、暗くて、そうして通り抜けたその先に薄い青の空がただ広がっている、そんな風景を感じさせる本だった。
小川洋子さんの文章はみなそうなんだろうか、すご〜く平易な言葉選びなんだ。
繰り返しはなくて、ほとんど一発で言い表してしまう。
こういうところ、高村薫さんとは大いに違う。
「見上げるたび、流れてゆく雲が夜空に描き出す濃淡の模様は移り変わっていた。」
「斜面の下草は生き生きとし、地面は柔らかく、風と一緒に緑の匂いが運ばれてきた。」
「明かりが乏しいだけでなく、皆が黒っぽい洋服を着ているために暗がりとの境があやふやになり、肉体は大方、どこか遠くへ置き去りにされているのかもしれなかった。」
もちろん平易な言葉選びと言ったって、普通の人にはこんなふうな的確な言葉選びはできないのだが、小川洋子さんはあえてこういう言葉選びをされているんだろうな。
平易な言葉選びの文を積み重ねて、そのことで読む者はひっかかり?をなくすから、想像力が全開されて、どこか違う世界に連れていかれてしまってることに納得ずく、多分、そういう狙いだ(笑)。