母と子の距離感が、居心地悪いような
昨日「本心」を読み終えた。
途中でちょっとダレる?私にとってはそんな感じがあって、4、5日かけた。
(「ある男」は1日で読んでしまった・・・)
7
2021年の本だけど、2023年になった今、この本に書かれてることは現在進行形で起きていても不思議じゃないというか、『自由死』という捉え方の一つも違和感はなかった。
世界が変わっていく様が、私には、当たり前だけど、すごいスピードに映る。
昨年7月に生まれたY子の赤ちゃんの子育て一つ、生半可な口出しは憚られるような変わり様なのだ。
睡眠時間はアプリできちんと記録されるし、授乳の時間も決めている。
「泣いたらおっぱいあげてたもんだけどね〜」
「昼間寝てくれるもんなら、ラッキーで寝かしといたけどね〜」
と、昭和子育てば〜ばは言い合っても、それ以上には話も進まない。
「結局、私のためなのかな。仕事始めたら、決まった時間に飲んでくれて、決まった時間に寝てくれないと、私が困るから」
こんなふうにママに言われたら、昭和のば〜ばには言う言葉がない。
「管理」と捉えることがそもそも間違いかも
最近はペットにGPSのチップを埋め込むのだそうである。
冬休みに一人で来た孫の小学3男子のIちゃんは、ウエストポーチにも、リュックにもGPSタグがついていた。
お兄ちゃんからのお下がりのケータイは首からぶら下げ、もう一つ首からぶら下げていたお財布にはスイカが入っているらしく、バスに乗っても市電に乗ってもお財布をかざして済ます。
(一緒に行動したよそのおじさんは、「子どもは半額じゃないの?」って心配して、「子ども用のスイカなんだよ」って聞いて、感心しきり・・・)
バッグからお財布を出して、その上そのお財布からスイカを探してかざすば〜ばのもたもたは、小3男子には理解の外、というか別の世界の話だろう。
従って今はママの管理のもとに生きている赤ちゃんが、社会的に?動き出す頃には、マジでGPSが埋め込まれる世界になっていても不思議じゃないって、そう思う。
今の赤ちゃんは、夜の睡眠が見守りカメラでママにチェックされるだけなのが、そのうち、保育園にも学校にも子どもたちは、この本に書かれていたようなゴーグルをつけていくようになるのじゃないだろうか。
(そもそも今のような学校に行かなくちゃあいけないのかどうかも定かでないが)
今でも保育園にはカメラが設置されていて、必要なら親は子どもたちの様子を観察することはできるみたいだ。
実際には仕事をしているママ、パパたちにそんなものをのぞいている時間なんかないはずなんだけれど。
不安が増幅しているからかも
私は今時の子育てに物申しているのではない。
2ヶ月の産休と、1年の育休を取れば、それまでのキャリアになんの傷もつかずにママは復帰できるのだろうか。
1年ちょっと離れている間にも、仕事の現場は変化し続けているに違いない。
そういう不安と、子供の可愛さを知ったママの心のせめぎ合い?すご〜く想像できる気がする。
だから、生まれてくる赤ちゃんがどんなふうに管理されて大きくなっても、あるいはこの本のような世界を生きることになろうとも、どこで、どのように納得したり、希望を見つける心をなくさなかったり、そうしてこんな世界で生きていくことができるんだろうか。
この問いに、平野啓一郎さんは答えているのだろうか。
私がちゃんと読まなかった?
今生きていることを、ちゃんと生きる、精一杯誠実に、そんなふうな感じで終わったというふうに受け止めていいんだろうかなあ。。。
でも、やはりこの答えは寂しいかも。。。
そういえばこの間のBSフジのプライムニュース。
「陰謀論」については面白かった。
そこで先﨑彰容先生も言ってたなあ。
こういうふうに討論を繰り返すしかないんですよ。答えは誰にもわかっていないんですよ。
こんな感じのことをおっしゃっていたような・・・
あ〜あ、やはり、ほんとに寂しいことだね〜
その上こんなこともおっしゃってたなあ。
小説家がちゃんと書かなくちゃあいけないんですよ、こんな言い方だったかな?